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タイトル 第1回ヴェネツィア音楽祭ご報告
記事No2566   [関連記事]
投稿日: 2026/08/05(Wed) 20:24
投稿者カーザヴェーチャ
参照先http://860
ご報告がおそくなりました。

このコンサートには、いろいろなところに仕掛けがあって、まさに新機軸で意欲的な特筆に値するコンサートだったと思います。

このサイトのフェイスブックにも書きましたが、チパンゴ・コンソート主宰の杉田せつ子さんが、コンサートの企画の一切合切、
つまり曲目の選定から、編曲、構成、パンフレットの作成と準備、茶菓の用意と、まさに八面六臂の活躍で、それを聞いただけでも
サンタンジェロ劇場をホームベースに各地のオペラ劇場で興行主として活躍したヴィヴァルディを彷彿とさせます。

そもそも、この合奏団の名前チパンゴCipangoは、ヴェネツィア出身の商人マルコ・ポーロ(住んでいたという家はヴェネツィアの
リアルト橋からさほど遠くないところに現存しています)が、『東方見聞録』の中で使っていた「日本」を指す言葉です。もともと
日本国という国名は、英語が国際言語の時代のJapanにあたるもので、長いことアジアの国際言語だった中国語による国名(日本人
自身は自らの国をヤマト、美称ではアシハラノミズホノクニと呼んでいました)で、中国語読みすると(リよりも強い)ジーペングォ
となるので、ヴェネツィア語話者の耳にはチパンゴと聞こえたのでしょう。トスカーナ語でジパンゴを経てジャッポーネになりました。
この合奏団の名付け親は、今回も友情出演なさったマリーア・クリスティーナ・ヴァーズィさんの恩師であり、バロック・ファンには、
長いことイル・ジャルディーノ・アルモニコ(調和の庭園)のコンサート・マスターとして知られていた、エンリコ・オノーフリ氏
(Youtubeで見られますが、RV208『グロッソ・モグール』の演奏は鬼気迫るものがあります)です。なかなか粋な計らいですね。

では、どこが新機軸だったのか、順にご説明いたしますが、ちょっとその前にもう少し寄り道をします。

会場となった教会からゆるやかな坂を少し下った所に都立六本木高校がありますが、まだこの界隈一帯が丘あり谷ありの地形で、
北日ヶ窪町、龍土町、飯倉片町などの江戸から続く地名が生きていた時代、この高校は都立城南高校でした。そこの生徒だった
私は、毎朝、校門が閉められる前に滑りこもうと、六本木駅から息もつかずに必死に駆け抜けたのがこの道でした。時代は下り、
バブル経済で世が浮かれていたころ、江戸・東京に何の愛着もない京都の森資本が辺り一帯を買い占め、一大開発計画を推進。
ブルドーザーで丘を削り、谷を埋め、古径を潰し、味も素っ気もない車道を新設して作り上げたのが六本木ヒルズで、この道は
過去の街の記憶を僅かに留める生き証人。ところが、頭の中をきちんとアップデートしていなかったため、確かこのあたりには、
城南高校が毎年、身体検査や予防接種で使っていた麻布保健所があるはずだとあたりをきょろきょろ。モダンな教会が目に入らず、
三々五々集まる人々を見て、やっと「そうか、ここが会場か」と気が付いた次第。狐につままれたような思いで会場に入ると、
音響が良いからと二階席を勧められました。今様浦島のフワフワした気分で素直に従ったのですが、これが大正解。音響の良さは
もちろんのこと、先に着いていた大島さん一行も二階席だったのです。

お二人に久闊を叙していると、大きなお盆に小さな袋に入ったクッキーを並べたスタッフが現れて、ひとりひとり配り始めました。
コンサート会場でこんな経験は初めてでしたが、袋に記された菓子の名前を見て二度びっくり。そこにはZalettiザレーティと
書かれているではありませんか。ヴェネツィア語の「ザ行」はイタリア語の「ジャ行」なので、イタリア語ならGialletti
ジャッレッティです。つまり、Giallo(黄色)+縮小辞-ettiなので、「黄色くて小さいもの」という意味です。しかも、その横に
何とZaetiと併記してあるではありませんか。やられた!と思いました。ヴェネツィア語は綴りが二重子音であっても、発音は
そうなりません。日本語に即して言いますと、「促音(詰まる音)」がないのです。もう一つの特徴が「L」の音で、舌先を微妙に
上歯の裏に充てて発音するために、ほとんど省略しているように聞こえます。ですから、Zaetiと書いてもまんざら間違いではなく、
却って本当の音に近づくのです。タイムトンネルをくぐって来たばかりの身には、二度パンチを喰らったような気がしました。
ヴェネツィアの伝統菓子は航海で日持ちする固いものが多いのですが、頂いたお菓子はさほど固くなく、味わいも抜群でした。

司会者の前置きに続いて、作品3『調和の霊感』第8番が全曲演奏されました。全曲と書いたのは、実はここに仕掛けがあるのです。
次の曲に移るかと思っていると、突然『ピエタ』の抜粋の朗読が始まりました。そして再び演奏。朗読は曲の合間だけではありません。
時には、演奏にかぶせて朗読が行われましたが、不思議なことに全然邪魔にならないのです。否、邪魔にならないどころか、話の展開に
合う曲が選択されているので、ことばの横糸に楽の音の縦糸が織り込まれていき、情感に満ちた空間が眼前に広がって行くのです。
プログラムに『調和の霊感』から1,3,4,5,6,8,9,11,12番と『アンナ・マリーアの音楽帖』からRV179a, RV267a,
RV387, それに作品一のトリオ・ソナタ第5番、さらにヴァイオリン協奏曲RV250とRV390とありますので、こんな短時間に一体
どうやってと疑問だったのですが、杉田さんとしては『調和の霊感』と『アンナ・マリーアの音楽帖』、その他数曲の中から、
抜粋されたストーリーの情景にふさわしい曲を選んで、演奏会場をキャンパスに、朗読と協働する形で、ヴァイオリニスト
杉田氏流の『ピエタ』の世界を思い切り描いて見せたのではないかと思いました。使われた絵の具は楽の音であり人の声であり、
どちらも音声なので、出た端から消えていきますが、各自の心に描かれた絵は記憶として長くとどまるので、そこが実は氏の
狙いだったのではないか、などといろいろ想像をたくましくました。独奏ヴァイオリンの旋律を数人に分けてしまうのも面白く、
ぜひ、全国での公演をお願いしたいコンサートでした。

タイトル映画『ヴィヴァルディと私』虚構と実像
記事No2565   [関連記事]
投稿日: 2026/08/03(Mon) 01:53
投稿者カーザヴェーチャ
長らくお待たせ致しました。内容がネタバレにつながるので今まで控えておりましたが、そろそろ全国各地の封切りが
終盤を迎えるころですので、ここに映画と史実の違いをひとつひとつ明らかにしていきたいと思います。虚と実の違いを
お楽しみいただければ幸いです。

これはスカルパの奇想天外な小説『スターバト・マーテル』(2009年度ストレーガ賞受賞。この映画の封切りに合わせて
邦題を『ヴィヴァルディと私』に変更)をベースに、イタリアオペラ界きっての鬼才ダミアーノ・ミキエレットが自由に
想像の翼を羽ばたかせて制作した映画です。主人公は架空の人物のチェチリアであって、ヴィヴァルディは脇役でしか
ありません。もちろん、ヴィヴァルディの生涯を描くことが目的ではありませんし、人物像もミキエレットの想像の産物です。
とは言え、実際にヴェネツィアでロケしていますし(ヴェネツィアは18世紀で時間が止まったかのような街の佇まいなので、
よく街灯や電線、テレビアンテナを上手に隠して、時代劇の撮影をやっています。そのため、テレビで時代劇を見終わって
買い物に出たりすると、タイムマシンで昔に戻ったような気がして頭がクラクラします)、楽器も衣装も小物も化粧も
時代考証がしっかりしているので実に見応えがあります。

では、始めます。
@
映画では、「ピエタ養育院」と訳されていましたが、大人を「養い育てる」というのも変です。「救貧院」と訳した例もありますが、
赤ん坊を受け入れて養い育てる施設であって、生活困窮者を救護する施設ではないのでこれも不適当です。「慈善院」なら
事業の対象者を念頭に置いたネーミングではないので一番ふさわしいです。そうした事情からでしょう。音楽関係の論文では
すべて「慈善院」を用いています。配給会社としては異存がなかったのですが、小説の出版社のほうは今更訳語を変えられない
という事情があり、映画の字幕では「養育院」で行くことになったそうです。

A
映画では、1716年にヴィヴァルディをピエタ慈善院が再雇用したことになっていますが、史実は、再雇用されたのは1711年で、
マントヴァのヘッセン=ダルムシュタット選帝侯の宮廷楽長となる1718年まで、ピエタに奉職したままです。

B
映画では、「(オペラ)興行に失敗した」とありますが、これは誤訳で、「興行主としても鳴かず飛ばず」です。1713年に
ヴィチェンツァで『離宮のオットーネ(オットー大帝)』でデビューした後、翌1714年に地元ヴェネツィアでサンタンジェロ
劇場の興行主としてリスト―リの『オルランド・フリオーソ(狂乱のローラン)」をかけたところ、これが大ヒット。詳しいことは
BBS2のスレッドNo.2554をお読みいただくとお分かりになると思いますが、気をよくして自作の『狂人を装うオルランド』を
かけたところ、これがとんでもない誤算に終わります。おそらく、そのことを念頭に置いたセリフだろうと思いますが、
時代設定が1716年だとすると、この年には『ポントの女王アルスィルダ』と『愛と憎しみに勝つ貞節』の二本を初演し、
双方とも成功を収めていますのであたりません。ちょっと、大きなタイムラグができてしまった場面です。

C
映画では、三人の男たちが花嫁候補を求めて、合奏・合唱の娘たちを品定めに来る箇所があります。首尾よく相手を見つけた男が
まるで品物を買うように「費用は?」と尋ねると、「100ドゥカートでございます」との答えが返って来たので、「では病院への
寄贈を倍に」と申し出る場面があります。ここには間違いが二つあります。一つは誤訳です。「慈善院」をospedaleと言いますが、
この言葉は現在では「病院」という意味で使われています。どんなに優秀な翻訳者でも当時のヴェネツィアの知識がないと、つい
誤訳してしまいます。もう一つの間違いは、まるで乙女の身売りのようなやりとりです。これは映画の製作者が、慈善院のことを
よく知らないで台本を書いたからだと思います。ピエタは花嫁として去っていく場合は、当時のヨーロッパの常識であり、日本でも
武家では常識だった「持参金」が支給されました。金額は150ドゥカート。つまり、史実なら、この映画の男は逆に慈善院からの
持参金を手にしたはずです。ついでに書くと、幕臣の間では離縁の際に持参金が日々の暮らしで減っていれば、元の金額になる
ように補填して、嫁入り道具はすべて修理修繕して元嫁の実家に返しました。元嫁の人格を尊重していたからです。

D
映画では、ヴィヴァルディはひどい喘息持ちでした。でも、あれほどひどくてはヴァイオリンは弾けません。ヴァイオリンは
黙って弾きますが、実は声帯を使っているそうで、弾き終わると声がガラガラになるそうです。昔からいろいろな人が、
ヴィヴァルディのこの持病が何であったかそれぞれ推測してきましたが、ヴィヴァルディ自身は「喘息」とは言わずに、
「胸の狭さ」と言っているので、神経性の喘息でなければ、何らかの心理的圧迫が加わると「過呼吸症候群」を起こして
いたのではないかと、素人の気楽さで勝手に想像しています。

E
映画では、ヴィヴァルディに個室が与えられていますが、史実は、教師は通いでしたので慈善院に寝泊まりできませんでした。
レッスンにしろコンサート前のリハーサルにしろ、教師には到着から退出まで、「合奏・合唱の娘たち」出身の女性教師が
ぴたりと寄り添うことなっていました。ですから、慈善院の一角で夜に母親に手紙を認めるチェチリアとヴィヴァルディが
ばったり出くわすなどということはあり得ません。

F
映画では、デンマーク兼ノールウェイ王フレデリック4世(1671-1730)一行のヴェネツィア訪問を1716年に設定していますが、
史実は、1709年1月ごろでした。17年ぶりの再訪で、その長逗留は9か月にも及びました。この王に対してヴィヴァルディは
ヴァイオリン・ソナタを作曲して献呈するというのですが、史実は、1716年に王一行の姿はヴェネツィアにはありませんでした。
ヴァイオリン・ソナタ集も1709年の段階ですでに献呈済みです。たしかに、1716年にアムステルダムで作品5として出版された
ヴァイオリン・ソナタ集がありますが。これには献辞が付いていませんので、おそらく、アムステルダムの出版社ロジェが、
ヴィヴァルディの作品の筆写譜を集めて印刷にかけた海賊版ではないかと疑われています。というのも、当時は楽譜の印刷は
非常に高価で、ヴェネツィアで筆写譜業が大いに流行ったのもそれが原因でした。

大体このような点が挙げられますが、映画をご覧になって何か疑問をお感じになった方は是非ご意見、ご感想をお寄せください。

タイトルRe^3: Les quatre nations
記事No2563   [関連記事]
投稿日: 2026/07/20(Mon) 01:54
投稿者カーザヴェーチャ
最晩年にウィーンで最後の頼みの綱だったフランツ一世(女帝マリア・テレジアの夫君)に謁見を願い出ても、
長い時間待たされた挙句、結局は不首尾に終わることが繰り返される中、「このようなフルート協奏曲を
何曲かご用意している旨を陛下にお伝え願いたい」と、ヨハン・フリードリッヒ・ツー・エッティンゲン=
ヴァーラーシュタイン伯爵への1741年5月5日付の手紙で言及されていたのが、筆写譜で伝わるこの
「ムガール帝国」RV431aだったのではないかと考えられています。

というのも、1759年にオランダの書籍商で音楽家のニコラース・セルホフがハーグで出版したカタログに、
ヴィヴァルディの作品としてこの曲のほかに3曲「フランス」、「スペイン」、「イギリス」と合わせて
4曲1組で掲載されていて、こうした楽譜が存在していたことは知られていましたが、その中の1曲の手稿の
パート譜の束が、2010年にスコットランドのロシアン(Lothian)侯爵家の古文書の中に見つかり、調査した
ところ、題名だけでなくカタログの出だし部分と一致することが確認されたからです。流布していた筆写譜の
一つが、なぜ遠く離れたスコットランドの侯爵邸で見つかったかも間もなくわかりました。当主の弟、ロバート
・ケァー卿(1719頃~1746)がアマチュアのフルーティストで、おそらくグランド・ツアー(貴族の子弟に半ば
義務付けられていたフランスやイタリアを巡遊する滞在型長期旅行)の折に、どこかで筆写譜を入手して自邸に
持ち帰ったのでした。つまり、ヴィヴァルディが作曲した「ムガール帝国」という題名のフルート協奏曲の
自筆譜は散逸してまいましたが、その筆写譜の一つがスコットランドにあり、一方、同曲の筆写譜を売って
いたハーグの出版業者は自筆譜または筆写譜を持っていたということです。  

RV番号から分かるように、この曲には別のヴァージョンである無題のRV431があります。こちらは
トリノ国立大学図書館のジョルダーノ・コレクションに自筆譜で伝わっていたので、RV431aはその
ヴァージョンだと確認できたわけです。どこが違うかと言えば、RV431はホ短調ですが、RV431aは
二短調で書かれています。トゥッティの主題だけでなく、ソロのエピソードも微妙に違っていますが、
一番の違いは、RV431にはあるべきはずの第二楽章がなく、代わりに「グラーヴェ 楽譜上部そのままで」
という謎めいた指示が書き込まれている点です。リオム=サルデッリ版『ヴィヴァルディ作品目録』の
解説によると、おそらく、筆写する時に、併せて並べられていた別の作品の第二楽章から、そのままの
調で良いのでこちらに書き写すようにという、筆写屋相手のメッセージではないかと考えられています。

ところで、Gran Mogolは「ムガール大帝」という意味ですが、当時は領地も指していました。ただし、
ヴァイオリン協奏曲RV208 はWikipediaではまるで定訳のように、「ムガール大帝」の項目を立てて
いますが、以前書いたようにGrosso Mogulは一見イタリア語っぽくてもイタリア語ではありません。
おそらく、半可通なドイツ人がドイツ語の「ムガール大帝」Grossmogulをイタリア語風にしてから
命名したようなので、「グロッソ・モグール」の項目名にすべきだったでしょう。因みに、ウィキ
ペディアのこの項目には、日本語版のほかに英語版、カタルーニャ語、ポーランド語版がありますが、
英語版を除いてどれも「ムガール大帝」と訳しています。全体の記述量が一番多い英語版のみAkabar
the Great(ムガール大帝)の訳語を充てていません。さすがはタルボットを生んだ国だけのことは
ありますね。

タイトルRe^2: Les quatre nations
記事No2561   [関連記事]
投稿日: 2026/07/16(Thu) 22:41
投稿者通りすがり
元となった曲は無いようですね。
RV番号が付けられていたので、曲の一部が発見され、復元されたのかと誤解してしまいました。

ところで、「ムガール帝国」も、最晩年の手紙で言及されていた曲なのでしょうか。

タイトルRe: Les quatre nations
記事No2560   [関連記事]
投稿日: 2026/07/16(Thu) 21:25
投稿者カーザヴェーチャ
これは驚くべき発見があったのかと思いましたが、『ムガール帝国』を除いて、リコーダー奏者のモートがバロック音楽の話法に関する
深い知識をもとに再現した(Drawing on his deep knowledge of Baroque language, Maute recreates these works as Vivaldi himself
might have composed them.}と言っています。imagined(想像してみた)なら分かりますが、楽譜がまるでないのにrecreated(再現した)とは
思い上がりも甚だしいです。呆れるしかありません。RV番号まで付けるなんて詐欺行為です。それともrecreateには「気晴らしをする」という
意味があるので、文法的に見てあり得ませんが、そう言いたかったのでしょうか。世界を見渡すと、変な政治家が権力を思うが儘に振るい、
だれもそれを阻止しない・できない状態にありますが、音楽界もいよいよ無法地帯になっていくのでしょうか。

タイトルLes quatre nations
記事No2559   [関連記事]
投稿日: 2026/07/16(Thu) 20:13
投稿者通りすがり
国名シリーズのフルート協奏曲の曲名があり、もしかして新発見かと期待しましたが、どうやら復元版のようです。
元になった曲があるのでしょうか。

ttps://www.prestomusic.com/classical/products/9808825--vivaldi-les-quatre-nations

動画もありました。

ttps://www.youtube.com/watch?v=iByxg6wRlmU

タイトルRe: 第1回ヴェネツィア音楽祭
記事No2558   [関連記事]
投稿日: 2026/07/12(Sun) 02:42
投稿者カーザヴェーチャ
畑野こいもさん、お久しぶりです。

チパンゴ・コンソートによる二日にわたる演奏会について書き込んでいただき、ありがとうございます。
私は25日のほうに行く予定です。

途中の休憩時間に茶菓の用意があるとのことで、イタリアでの少人数の会合や演奏会が思い出されてちょっと懐かしくなります。
伝統的なヴェネツィアの焼き菓子は、名物バイーコリbaicoliのように船旅を考えて長期保存ができるように固いのが多いのですが、
大運河を空から見たようなSのかたちをした、レモンピールをふんだんに使ったブッソライbussolaiのように多少柔らかめのものも
あるので楽しみです。

演目ではやや重めの感じがするRV390、ナポリのニコロ・フィオレンツァが自作と偽ったらしいRV189,それに、少々ややこしいですが、
二重オーケストラを伴うヴァイオリン協奏曲「聖母マリア被昇天の祝日のために」RV581の単一オーケストラ用のヴァージョンである
RV179の第三楽章を新たに作曲して、愛弟子アンナ・マリーアに献呈したRV179aを、特に楽しみにしています。

タイトル第1回ヴェネツィア音楽祭
記事No2557   [関連記事]
投稿日: 2026/07/11(Sat) 01:09
投稿者畑野こいも
https://www.armoniaveneziana.com/

何となくネット検索していたら、とっても素敵なお知らせを見つけてしまいました(*^_^*)♪
近くだったら絶対行ってます◎

タイトルRe^2: 映画『ヴィヴァルディと私』
記事No2556   [関連記事]
投稿日: 2026/06/20(Sat) 13:28
投稿者カーザヴェーチャ
先ほど、TBSの「王様のブランチ」でも紹介されていました。ミニシアター系全国三位とはすごいと思います。

昨日、遅れ気味の翻訳作業(新版『ヴィヴァルディの生涯』)に一息入れようと、wowowで採り溜めていた映画の一本、安倍公房原作、
勝新太郎主演の『燃えつきた地図』(1968)を見ました。昔の映画を見るのは、名作でなくても、その時代の光景がよみがえり、
薄れかけてきた記憶を映像でくっきりと再確認できるからです。この映画の舞台は東京。1968年と言えば都立高校二年生から三年生。
青春真っ只中の人生で最も楽しい時期でした。どの都会もそうでしょうが、ことに東京は、64年オリンピック前後から変貌激しく、
先日も、虎ノ門ヒルズで行われたシンポジウムの折に、見晴らしの良い高層階のフロアーより、眼下から新橋、築地を抜けて東京湾に至る
パノラマを見渡しながら、あの碁盤の目のように整備された細い通りの両側にびっしりと小さな家が軒を並べる、田村町、西久保桜川町、
琴平町、南佐久間町は永遠に消え去り、不愛想な超高層ビルが肩を並べる味も素っ気もない空間になってしまったのだなあとため息を
ついたばかりでした。

で、映画に話を戻しますと、大団円を迎えるあたりで、主人公が喫茶店からピンク電話をかける場面があります。話の内容を聞かれ
たくなかったのか、何かレコードをかけてくれとウェイトレスに頼むのですが、そこで流れ出てきたのが、チェンバロとアンサンブル
用に編曲された、ヴィヴァルディの作品12の第一番第一楽章でした。ただぼんやり見ていただけだったので、これには驚きました。
タイトルロールで音楽担当を探し当てて、二度びっくり。何と現代音楽の巨匠、武満徹だったのです。知りませんでした。

皆さんも、えっ?こんなところにヴィヴァルディが!という体験がおありでしたら、ぜひお聞かせください。

タイトルRe: 映画『ヴィヴァルディと私』
記事No2554   [関連記事]
投稿日: 2026/05/22(Fri) 15:39
投稿者カーザヴェーチャ
今日から全国で公開されますので、この映画で使われた作品を出てくる順に並べてみました。
今回、映画のパンフレットの監修と加筆修正、それに寄稿文を依頼されましたので、かなり早い段階で
映画配給会社から送られてきたビデオで全編を見ていましたが、全国公開前の情報開示は控えておりました。

1.
チェチーリアが秘かに母親に届かぬ手紙を書いている大部屋の一隅で作曲している場面。
RV608『ニスィ・ドミヌス(主が家を建てられるのでなければ)』ト短調 第4曲目「主は眠っている間に与えたもう」

2.
「合奏の娘たち」の中からヴィヴァルディが第一ヴァイオリンを選ぶ場面。
RV63作品1トリオ・ソナタ集第12番「フォッリーア」

3.
音楽室で「合奏の娘たち」のリハーサルする場面から、結婚で慈善院を去る仲間を窓から見送る場面。
RV152弦楽合奏曲ト短調 第一楽章アレグロ・モルト

4.
入浴シーンに続く慈善院内の教会での演奏会。
RV578作品3『調和の霊感』第2番「2つのヴァイオリンとチェロのための協奏曲」第一楽章アダージョ・エ・スピッカート

5.
スウェーデン国王フレデリック4世を迎えての貴族の館での演奏会。
RV207作品11第1番「ヴァイオリン協奏曲ニ長調」第二楽章(ロ短調)ラルゴ
ただし、チェチーリアが弾く第一ヴァイオリンの旋律は、カポグロッソが二重奏になるように作曲。原曲にはない。

6.
臨終の人が天国に召されるように、司祭が終油の秘跡を授けている場面。
RV565作品3『調和の霊感』第11番「2つのヴァイオリンとチェロのための協奏曲」ニ短調 第三楽章ラルゴ・エ・スピッカート

7.
怪我を負ったチェチーリアが「共同体の娘たち」と共に台所働きをしている場面に続く音楽室での「合唱の娘たち」によるリハーサル。 
RV644『勝利のユディータ』冒頭の合唱「武器を手に,殲滅せよ、復讐せよ」

8.
音楽室での「合奏・合唱の娘たち」によるレチタティーヴォのリハーサル。
RV644『勝利のユディータ』より敵将ホロフェルネスのレチタティーヴォ"Quid cerno!Oculi mei!”(一体何なのだ!わが目が信じられない!)

9.
ドージェ(統領)一行を迎えての演奏会。
RV644『勝利のユディータ』冒頭の合唱「武器を手に,殲滅せよ、復讐せよ」

以上です。


付記:
 実は、パンフレットには大々的に掲げてあるのに、映画の中では会場から小さく流れ出るBGM的な使い方をされてたために気が付かなかった方が
多いのではないでしょうか。それが次の曲です。

10.チェチーリアが階段を駆け下り、慈善院を抜け出そうとしているところを院長に見つかり、鍵束を渡す渡さないでもめる場面。
RV644『勝利のユディータ』より、ヴァガウスと合唱「おお、何としとやかで美しく魅力的なことか」